伊藤絵美著『セルフケアの道具箱』を読んで

本についてと感想を。

 

2022年メンタル本大賞受賞。
コーピング、認知行動療法、マインドフルネス、スキーマ療法の観点からセルフケアができるワークが100コ紹介されている。

ワークをやっていくことで、ストレスに気づく力、誰かとつながる力、数値化や書くなど外在化する力、マインドフルネス力(評価や判断をせずそのまま受け止める、味わう力)、コーピング力(ストレスに対して何らかの対処をしたり工夫したりする力)などが鍛えられる。

また、日常の小さなストレス対処から幼少期から抱えていた未完了の思いや感情といった、生きづらさの根っこの対処まで幅広く書かれている。


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ストレスに強くなるためのトレーニング本のように感じました。一個一個のワークがとてもわかりやすく簡単に書かれていて、好きなワーク2、3コから、自分のペースでやっていけるのでやりやすい。

長い時間をかけて少しずつワークを増やしていって、力をつけて行けたらと思います。


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『加害者は変われるか?DVと虐待をみつめながら』 信田さよ子

読んで印象に残った部分を抜粋。

 

『幼い子どもを親と対等視することはしばしば推奨されるが、同時にそれは子どもの現実を無視して法外な能力を子どもに求めることを意味する。子どもの立場に立てば、それはネグレクト(虐待の一種、育児の怠慢・放棄)に他ならない。母が(時には父が)子どもと真剣に格闘することは危険なのである。対等視が生み出す恐れや嫉妬、おびえなどは、虐待の回路を生み出すからだ。自分の力と、弱く小さき存在である子どもの力との圧倒的落差を認めること、自らが支配する権力を持ってしまったことを自覚すること、子どもから見て圧倒的な存在であることへの惧れを抱くこと。虐待への回路を断つためにはこのような親としての自己認識が必要である。』(p49~50)

 

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『「あなたの行為はDVだと思います。これ以上あなたのDVを受け続けることはできないので、しばらく家を離れます。もしあなたが私に会って話したいと思われるのであれば、次の機関で相談を受けてください。そこで行われているDVについての教育プログラムを受講していただきたいと思います。それをすべて修了した段階で、担当者と話し合っていただければ、あなたと会い、話し合う可能性はあるでしょう」

この手紙を事前に書いて用意しておき、いざという時にテーブルの上に置いて逃げるのだ』(p157~158)

 

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『彼らに必要なことは、まず暴力・暴言を二度と行使しないことだ(再発防止)。そして、妻は自分とは異なる人間であること、自分の思い通りにはできないこと、自分の言うなりになる存在ではないこと、などを学習することである。夫である自分に、妻を支配する特権などないこと、妻はどんな自分でも受け入れてくれる母のような存在ではないことを知ることだ。そして、日常の会話のスキルを獲得し、命令ではなくやさしいことばを掛け、妻のことばに耳を傾ける態度を習得することだ。そしてなによりも妻がどれほど恐怖を抱いているか、どれほど苦しんでいるかを知ることだ。妻たちがグループ・カウンセリングによって内面化された夫のことばから脱しつつ被害者性を構築するように、彼らも学習によってしか加害者性を構築することはできない。最終的なゴールは、自分が妻に与えた痛みに想像力を働かせ、ひどいことをした自覚をもち、妻に対する責任の自覚に至ることである。この地点に至って初めて自分が悪かったと思い、謝罪が生まれ、そして償いが生まれる。このように、加害者性の構築とは被害者に対して責任をとることを同時に意味する。』(p240)

 

 

自分物語の再編集

 

 

私は幼い頃からなぜ人は罪を犯してしまうのか、人をいじめてしまうのかという人の心に興味があり、犯罪者が犯罪に至るまでに何があったのか知りたくて、生い立ちを調べたりドキュメンタリーを見るようになりました。

 

主に国内外の連続殺人犯の生い立ちを見てわかったことは、人は生まれながらに気狂いな人なんていないということと、求めているものは一緒だということでした。

私が見たほとんど全ての連続殺人犯たちは家庭が貧困だったり、虐待を受けていたり、病気を抱えたりしていました。

安心安全といえる居場所がなかったり、ありのままの自分を受け入れられて来なかったのです。

そうするとどうなるか。自分を認めてもらいたくて、自分より肉体的に力のない人や小さい人や動物を支配するようになります。(殴る蹴る、大声を出す、性暴力をする等)

そうすることで自分が有能なのだと、存在価値があるのだと確認することができるのです。

このあたりのことは斎藤学氏や岡田尊司氏、信田さよ子氏の著書を読んで学びました。

苦しみもがきながら生きるために必死になっていたんだろうと思います。

 

ただ、加害する前にもっと他に方法はなかっただろうか。暴力的な方法を取る前に、安心安全な方法でその人達の欲求を満たし癒やすことができたならどんなに幸せなことかと私は思うのです。

これは私の勝手なエゴかもしれません。でも生きていくために、暴力的な方法で満たそうとしなくて良い未来をつくっていきたいんです。

そのために、ほんの少しでも力になれたら幸いです。

 


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練習

普段からなんてことないちょっとした自分の主張でさえ、相手にきちんと伝わるのかどうか気になって、結局自分が思っていたように伝えられないことがよくあります。10伝えたいところを3だけで終わらせてしまうみたいな。

 

そこには、どうせ言ったって理解してもらえないだろうという思いもあって

きちんと伝わるか気になる反面、理解してもらえなかったときのことを考えてあえてすべてを伝えようとしないというところがあります。

 

この矛盾に板挟みになってしまい結局どうしたいのかが分からなくなり頭が真っ白になってしまうのです。

 

このことを心理師さんに話したところ、人間ですからね色々考えて頭が真っ白になることなんてよくありますよと言われました。

頭で分かっていても、そう言ってもらえると自分だけじゃないんだと思えて安心します。

 

これを言ったらもう生きていけなくなるんじゃないかというくらい恐怖を感じるときがあるのですが、こうして一回一回、言葉にしていくことでだんだん慣れていくんじゃないかと、希望を持ってこのブログを書いています。



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