『加害者は変われるか?DVと虐待をみつめながら』 信田さよ子

読んで印象に残った部分を抜粋。

 

『幼い子どもを親と対等視することはしばしば推奨されるが、同時にそれは子どもの現実を無視して法外な能力を子どもに求めることを意味する。子どもの立場に立てば、それはネグレクト(虐待の一種、育児の怠慢・放棄)に他ならない。母が(時には父が)子どもと真剣に格闘することは危険なのである。対等視が生み出す恐れや嫉妬、おびえなどは、虐待の回路を生み出すからだ。自分の力と、弱く小さき存在である子どもの力との圧倒的落差を認めること、自らが支配する権力を持ってしまったことを自覚すること、子どもから見て圧倒的な存在であることへの惧れを抱くこと。虐待への回路を断つためにはこのような親としての自己認識が必要である。』(p49~50)

 

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『「あなたの行為はDVだと思います。これ以上あなたのDVを受け続けることはできないので、しばらく家を離れます。もしあなたが私に会って話したいと思われるのであれば、次の機関で相談を受けてください。そこで行われているDVについての教育プログラムを受講していただきたいと思います。それをすべて修了した段階で、担当者と話し合っていただければ、あなたと会い、話し合う可能性はあるでしょう」

この手紙を事前に書いて用意しておき、いざという時にテーブルの上に置いて逃げるのだ』(p157~158)

 

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『彼らに必要なことは、まず暴力・暴言を二度と行使しないことだ(再発防止)。そして、妻は自分とは異なる人間であること、自分の思い通りにはできないこと、自分の言うなりになる存在ではないこと、などを学習することである。夫である自分に、妻を支配する特権などないこと、妻はどんな自分でも受け入れてくれる母のような存在ではないことを知ることだ。そして、日常の会話のスキルを獲得し、命令ではなくやさしいことばを掛け、妻のことばに耳を傾ける態度を習得することだ。そしてなによりも妻がどれほど恐怖を抱いているか、どれほど苦しんでいるかを知ることだ。妻たちがグループ・カウンセリングによって内面化された夫のことばから脱しつつ被害者性を構築するように、彼らも学習によってしか加害者性を構築することはできない。最終的なゴールは、自分が妻に与えた痛みに想像力を働かせ、ひどいことをした自覚をもち、妻に対する責任の自覚に至ることである。この地点に至って初めて自分が悪かったと思い、謝罪が生まれ、そして償いが生まれる。このように、加害者性の構築とは被害者に対して責任をとることを同時に意味する。』(p240)